こんにちは。だいぶ春らしい気候になってきましたね。

今春から小中学校の「教育方針」が変わるのだそうですね。

2017年3月に小中学校の「学習指導要領」と「教育要領」が改訂され

2018年度から本格的に移行が始まるのだそうです。

「小学校の外国語教育の教科化」のほか全体として「主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング)」を重視した学びの展開を目指しているとのことです。

つまりどういうことか、というと

従来の「知識偏重」の教育から


「思考力・判断力・表現力」

を育む教育へのシフト

をしていくということです。

これを外国語教育の観点から見た場合、

深い解釈では

文法、発音などの

「小さなこと」

はさして問題にしていない、

ということになります。

言葉というものはそもそも、相手に自分の考えを伝えるものであり、相手を理解する道具です。

つまりは言葉そのものが「文法的な間違いが一切なく」「流麗で」ある必要はない、ということです。

例えば「フランス語なまりの日本語」

「中国語なまりの日本語」だと

相手を理解するうえで問題がありますか?

相手の人間性が素晴らしかったとしても、素晴らしい内容を伝えようとしていたとしても

「日本語が日本人のようでない」というだけで耳を貸さないのでしょうか?

 

そうではないと思うのです。

 

当然ですが、コミュニケーションをするうえで「通じる範囲」の発音、表現、というものはあります。

でもそれはそんなに高いレベルではありません。完璧でなくてもいいのですから。

大事なのは「何を言うか。」そしてアイコンタクトやボディランゲージ、声のトーンや表情なのです。

そして、すべてのベース、一番大切なのは「心の在り方」

相手が何者であろうと「敬意をもって話を聞く」姿勢を持てる人であること。

相手の文化を敬い、自分の文化を大切に思う気持ちをもっていること。

答えをもらうのを待つではなく、「自分から取りに行く」人であること。

外国語教育に携わる身として、講師自体がこうであるべきだと私は考えています。

また、レッスンのなかで(言葉で伝える、というよりも、ゲームやアクティビティなどを通して)

生徒様がたが「いつもの自分の殻」を破れるように様々な仕掛けを設定しています。

それができる講師であれば、実は講師は

日本人であろうと、

イギリス人だろうと、

中国人であろうと

関係ない

と思っています。

 

完璧な発音、完璧な文法をもってしても

「指示待ち人間」だったらなら

きっと英語を使う世界では渡り合っていけないでしょう。

「自分で答えを取りに行く」

人でないと日本の社会の中でさえ埋もれてしまいます。

「思考力」と「行動力」両方を併せ持ち、

そこに表現力

そして相手や自分の文化への敬意があれば

これからの社会でとっても輝ける人になれますね。

ファンファンイングリッシュは生徒様に単に

英語力を身に着けていただく場ではなく、

 

そして楽しい場であるだけでなく、

 

思考力と行動力

そして「チームワーク」を通して

相手への敬意の心

を大事にしたいと思っています。