ここのところずっと賀茂教室の新看板データと七隈教室のガラス面の看板データにかかりっきりです。
昨夜も「こんなデザインできたよ~」などと講師のエミリーと話し合いながらデザイン決めしていきました。
やっと看板データ作りからは当分解放されそうです♬
看板のことを英語で「Sign」(サイン)といいますが、
日本では町中にいろんなサインや注意書き、スティッカーがありますね。
電車の中では「指つめ注意!」とか、
エスカレーターでは二列で乗ってくださいとか、
書きたくなるんだろうけどね…。そこ、自己責任でしょ?みたいなことまでポスターで注意喚起してる。
街中に流れるアナウンスもそうですね。
外国から来た方は日本にアナウンスがすごく多くてわずらわしい、と思うそうです。
過保護なほどの注意喚起やアナウンスは何を意味しているのでしょうか?
それは、お客さんから質問されたり「注意不足だ!」と弾劾されたくない心理なのでしょうね。
以前生徒ちゃんたちと組み分けの儀式をした時に「なぜ魔法学校になるのか」をお話ししました。
私はみなさんに英語を学んでいただく過程のなかで「日本は世界の1国に過ぎないし、
今持っている価値観は一つじゃないんだよ」と話をさせてもらいました。
もしかしたら100年後には「昔は男と女しか結婚できなかったんだってーー!」なんてびっくりして話す世の中がくるのかもしれない。(いや、来るでしょうね、確実に)
今の価値観は国が変われば変わるし、時代が変わればもっと変わる。ほんの5年前の感覚でさえ古臭いと感じられる業界だってある。
日本は他の国の人から見たらちょっと過剰なくらいの「過保護社会」かもしれません。
国が小さいだけに資源も少ない日本としてはテクノロジーなどの技術を売るだけでなく「サービス」も同時に売ってきたのだと思います。
相手を「察する」技術のおかげでサービス・アフターフォローも万全な国、JAPAN。
でも一方で「察しすぎ」て大きな幼児を算出する国でもあると思います。
「察しろよ!」と店員や家族、社員、生徒など「自分より格下とみなした者」を威嚇する大人をよく見ます。
私たちは察することで時に「都合のよい・快適すぎる」世界をつくってしまってしまい、
自分たちの首を絞めているのかもしれません。
むしろ「あえて察しない」をすることで風通しがよくなる組織もあると思いますよ♪